建築年代:安政3(1856)年(推定)
構造形式:木造・切妻造、桟瓦葺、平屋建
建築面積:292.3㎡
国登録有形文化財
庫裏は東面する本堂の北側に建つ。切妻屋根の妻面を正面にする。梁間を正面とすることから桁行13.21m、梁間21.8mになる。桟瓦葺切妻造り、大型の木造平屋建てとするが、天井裏は屋根裏部屋とする。本堂側の南側面の前寄りに式台玄関を付属するが、対面所北側に接続する玄関棟の式台部分を戦後に移築したものである。東に面する土間は間口2間半とする。土間の左側は1間幅の細長い部屋として受付を設ける。土間右側は板床になり台所炊事場になる。土間上の中央部は板間になり、土間床境に1尺1寸角の欅大黒柱を立てる。奥に部屋が続くが内装は改修されており応接間と集会所になる。
「一寸一間絵図」により旧平面間取りが明らかになる。土間右側は庭になり竈と井戸が築かれている。井戸は現存している。中央の板間は左右に分けて左側に大きな囲炉裏が置かれている。現在は板床になる。板間の奥は奥行一間半の役僧部屋になり、さら中庭があるが、現在はこの中庭に床を張り庫裏の応接間、集会所になっている。中庭は絵図と現状の柱位置から復元すると幅6.52m、奥行3.74mになり庫裏側に落ち縁が通り、両側に1間の板廊下を復元することが出来る。土間の上部は小屋組を棟木まで見せて壮観である。屋根裏部屋は板間上になり大引き組の上に床板が張られている。戦後の改修により竿天井が部分的に張られている。納骨堂落慶時の古写真に庫裏の本堂側に屋根が一段高く上がって見えており、太鼓楼になっていたことが判る。外壁は真壁の白漆喰塗で腰は竪板張りとする。
建築年代は嘉永5年(1852)大火の翌年に始まり、和釘の痕跡があることなどから江戸後期から再建を始められたとみられる。また前出絵図に、庫裏の奥に対面所が接続するが、屋根は別棟になることが判る。陽願寺庫裏は内部の改修がみられるが絵図と比較できることから柱配置は同一で再建時の平面型式を残していること。妻面を正面とする外観に繋ぎ海老虹梁や梁組を見せており庫裏の特色を良く残していること。大型の本堂に相応しい外観を見せていることが、特筆できる。
文化財調査書より一部引用