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第二章
越前一向一揆と陽願寺
~織田信長軍との戦いの中で~

1506(永正3)年

加賀の一揆、府中(旧武生)の大半を焼く

1570(元亀元)年

顕如上人、織田信長との戦いを命ず

1574(天正2)年

本願寺坊官下間頼照、越前を支配して守護職になる。七里頼周、府中を支配する
陽願寺第二世善海法師(正闡坊)、木芽峠鉢伏城で石田西光寺、桂島照護寺・大町専修寺・今小路常樂坊とともに防衛に加わる(勝授寺文書)

1575(天正3)年

陽願寺第二世善海法師(正闡坊)、織田信長軍と戦う
織田信長は、越前一揆を府中で1500人処刑する

1570(元亀元)年~
1580(天正8)年

本願寺第十一世顕如上人より、越前「坊主・門徒中」宛のご消息(石山戦争で籠城中、兵粮米の援助を求める旨)が陽願寺に届く

顕如上人ご消息

1580(天正8)年

石山本願寺、織田信長と和睦する
越前門徒の教如派一揆衆、蜂起する

1589(天正17)年

本願寺十一世顕如上人陽願寺に赴かれる(陽願寺略伝録)

本願寺第十一世顕如宗主御影
(陽願寺蔵)