MIDO YŌGANJI
御堂 陽願寺
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第四章
江戸時代の陽願寺

1612(慶長17)年

本多富正公父、本多孫左衛門富重往生、陽願寺に葬られる。
本多富正公、参勤交代で江戸に滞在中、本願寺第三世良如上人より六字名号を拝領し、陽願寺に寄進。

1624(寛永元)年

本願寺十二世准如上人、陽願寺に赴かれる。(陽願寺略伝録)

1644(正保元)年

府中初代城主本多富正公、陽願寺へ禁制を出す。

1647(正保4)年

良善法師(陽願寺六世・本願寺十二世准如上人ノ孫)陽願寺に入寺する。

1661(寛文元)年

良善法師(陽願寺六世)親鸞聖人四百回忌(大谷本廟)にて、御骨の番を勤める

1699(元禄12)年

寂應法師(陽願寺九世・本願寺十四世寂如上人ノ孫)陽願寺に入寺する。

1716(享保元)年

陽願寺、本願寺 下間刑部に宝物届を提出する。

1736(元文元)年

寂智(陽願寺第九世)、『陽願寺略伝録』を著す。

1792(寛政4)年

陽願寺第十世法知法師、陽春院釋慈海(天台僧)より桜町天皇(第百十五代)の御位牌と光格天皇(第百十八代)の御冠を預かる。御冠は、油小路中将が拝領し、当山九世寂知法師室が油小路家より嫁いだ縁により、陽願寺に預けられる

1801(享和元)年

府中六代城主 本多副充公、陽願寺へ禁制を出す。

1803(享和3)年

本了法師(陽願寺第十一世・本願寺静如上人ノ孫)、陽願寺に入寺。

1833(天保4)年

天保の大飢饉により、府中で約3千人の餓死者が出る。

1836(天保7)年

陽願寺、天保の大飢饉による大凶作で米価が高騰、飢え苦しむ町中の多くの人々に、炊き出しを継続して行う。

1838(天保9)年

府中七代城主 本多副昌公、陽願寺へ禁制を出す。

1852(嘉永5)年

府中の大火により、陽願寺の十三間四面の本堂・庫裏等全て消失。
大火は、3月23日、庚申町から出火し、市街の大半を焼きつくす。焼失した家は千四百三十七軒、土蔵四百八十三軒、寺二十二、塔頭二十五。『南条郡誌』

1856(安政3)年

陽願寺本堂、庫裏(書院)再建。第十三世広流法師(藤枝澤揚)時代