蓮如上人
ゆかりの
寺院

  1. HOME
  2. ご由緒

陽願寺を知る

陽願寺は、福井県越前市本町にある浄土真宗本願寺派のお寺で、開基は善鎮上人になります。善鎮上人は真宗出雲路派本山毫摂寺の住持でありましたが、文明4年(1471)越前に下向した本願寺第八代蓮如上人の教えを受け、正闡坊(しょうせんぼう)の名を賜り、南条郡広瀬村岩崎(現越前市)に一宇を建立しました。

陽願寺の寺号(名前)は、文明17年(1485)に蓮如上人によって命名されました。正しい教えを意味する「陽」と本願寺の「願」の二字を合わせたものであります。蓮如上人の往生後、明応8年1499、本願寺第九代実如上人により、蓮如上人のご遺言が書かれた「御消息」と「御骨」を頂き、陽願寺では寺宝(越前市指定文化財)として保存されています。

1595(文録4)年、府中城主青木紀伊ノ守より、現在の土地を寄進され、移動しました。その後、慶長2年(1597)、本願寺第十二世准如上人より「院家」の通達が届き、越前地方の「惣録」を命じられ、「御堂」と呼ばれるようになりました。以降、寺領は大きく拡大・興隆し、陽願寺は、當国の御坊(中本山)として栄えました。江戸時代には、桜町天皇の位牌や光格天皇の冠をお預かりするとともに、明治時代には別格寺となりました。

現在の伽藍は、嘉永5年(1852)市内庚申町からの出火によって市街の大半を焼き尽くし、陽願寺の本堂、諸堂も焼失した後の再建によるものであります。
本堂(御堂)は、嘉永6年より再建が始められた寄棟屋根の優雅な大型の建造物です。周辺においても、ひときわ目立つ外観であり、地域の重要な景観として現存しています。また、大型本堂に相応しい外観として、庫裏、対面所(書院)、御殿(書院)、洋館、客殿等を擁しており、本願寺宗主(御門主様)をお迎えするための上質な建築となっております。

平成29年より、創建550周年を記念して、専門家による建造物、寺宝等の本格的な調査が始まり、今日に至ります。

蓮如上人と善鎮法師連座の御影

陽願寺の歩み

陽願寺が越前の国に建立してから現代までの
歴史を知ることができます。