陽願寺の
歴史を知る

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第三章
陽願寺の寺地移転と興隆
~西派御坊所(中本山)となる~

1594(文禄3)年

青木紀伊守、越前大野より府中に入る

1595(文録4)年

陽願寺、府中城主青木紀伊守から五十軒四方の寺地を寄進され、現在地(福井県 越前市本町)に移転する

1597(慶長2)年

陽願寺、本願寺第十二世准如宗主より、院家の寺格を与えられ、同時に越前諸末寺の惣禄を命じられる。以降、陽願寺は「御堂」、「御坊」と呼ばれるようになる
本願寺十二世准如上人裏書の聖徳太子御影、七高僧御影を本願寺より受ける

本願寺十二世准如宗主御影(陽願寺蔵)
(越前市指定文化財)

1601(慶長6)年

結城秀康の家臣 本多富正公が府中城主となる。富正公の父・本多孫左衛門も府中(武生)入りし、陽願寺第三世善徳法師と子弟の関係を結ぶ。本多十左衛門、本多九郎左衛門ら一族とともに陽願寺の大檀家となる
以降、陽願寺は本多家の菩提寺格となり、府中領主本多家歴代及び一族の年忌法要を陽願寺にて営む。