歴史

陽願寺の歴史

御影

陽願寺は出雲山と号し、福井県越前市本町にある浄土真宗本願寺派のお寺です。古来より、「府中御堂」、「御堂陽願寺」、「御坊」と称されてきました。
本願寺派の旧別格寺にして由緒寺であり、古くは、南越地区・本願寺派寺院の触頭をつとめました。天正年間に現在の福井別院(福井御坊)の前身が顕如上人(本願寺十一世)によって開創されるまでは一時その代行をなせていました。

陽願寺の開基は、善鎮法師(ぜんちんほっし)です。善鎮法師は、本願寺第三代覚如宗主の曾孫であり、宗祖親鸞聖人の後胤八代目にあたります。本山毫摂寺(ごうしょうじ:現在の真宗出雲寺派本山)と証誠寺(しょうじょうじ;現在の真宗山元派本山)の住持をつとめておられましたが、蓮如上人が越前の地へ赴き、吉崎に坊舎(吉崎御坊)を建立したとき、蓮如上人に帰依し、その後、三年間山科本願寺にて専修念仏の教えを蓮如上人より受けました。

やがて、善鎮法師は正闡坊(しょうせんぼう)の称号を蓮如上人より賜り、毫摂寺を退き、神山村広瀬(現在の越前市広瀬町)に一宇を建立しました。それが陽願寺の始まりです。

陽願寺の名前は蓮如上人より賜りました。当時、越前の国には他力本願の教えとは違った正しくない教えである秘事法門(ひじほうもん)が広まっていました。

蓮如上人は、正しくない教えを「陰」とあらわし、善鎮法師に「陰」を正しい教えである「陽」に導くよう「願」いを込められて、「陽願寺」と命名されました。以降、陽願寺は大いに発展し、府中御堂と呼ばれる名刹となりました。

第二世善海法師の時代、府中城主青木紀伊守の帰依を受け、五十軒四方の寺地を寄進され、現在の地(越前市本町)へ移りました。以降、寺領は拡大、その堂宇(本堂)は、十三軒四面の壮大なものでありました。
1852(嘉永5)年3月23日府中の大火により、本堂・庫裡とも全て焼失しましたが、その4年後の1856(安政3)年、現本堂が再建されました。現在の本堂は、消失前と同じく十三間四面の大きさの欅作りで県内では屈指の巨刹です。
現在の山門は、明治期に幕府直轄の本保陣屋の門を当寺へと移築したものであります。

略年府

1484(文明16)年 善鎮法師 広瀬村岩崎(現在越前市広瀬町)に一宇建立
1485(文明17)年 蓮如上人(本願寺第八世)が善鎮の建立寺を陽願寺と命名
1499(明応8)年 実如上人(本願寺第九世)より、 蓮如上人御骨 「御骨の御書」( 実如上人御消息)が陽願寺に届く
1595(文録4)年 陽願寺 府中城主青木紀伊守から50軒4方の寺地を寄進され、現在地(福井県 越前市本町)に移る
1596(慶長元)年 府中城主・本多富正の母 往生 陽願寺に葬る
1597(慶長2)年 院家の寺格を与えられ、越前諸末寺の惣禄を命じられる
1612(慶長17)年 府中城主本多富正の父 本多孫左衛門富重往生 陽願寺に葬る
1792(寛政4)年 法知(陽願寺第十世)、陽春院釋慈海(天台僧)より桜町天皇(第百十五代)の御位牌と御冠を預かる
1852(嘉永5)年 府中の大火により、陽願寺本堂・庫裏全焼
1856(安政3)年 第十三世広流(藤枝澤揚)時、本堂再建
1911(明治44)年 陽願寺 別格寺に昇格
1912(大正元)年 澤通(本願寺正連枝・陽願寺第十四世)本山・西本願寺執行長に就任
1947(昭和22)年 准由緒寺の称号を賜る
1964(昭和39)年 勝如上人(本願寺第二十三世)御親修のもと 陽願寺親鸞聖人七百回大遠忌法要を勤修
1998(平成10)年 本堂大修復
2000(平成12)年 陽願寺蓮如上人五百回大遠忌並びに落慶法要勤修
2006(平成18)年 至聖(陽願寺第十七世)大徳山恵光寺(萱振御坊)より入寺し 現在に至る
2013(平成25)年 西本願寺専如新門(大谷光淳様)御親修のもと陽願寺親鸞聖人七百五十回大遠忌法要並びに伽藍修復慶讃法要勤修される

山門と堀垣

当時全景

陽願寺略史

蓮如上人の遺骨、
陽願寺に届く
蓮如上人(本願寺第8世)が1499(明応8)年に往生されると、蓮如上人の跡を継承された実如上人(本願寺第9世)より善鎮上人(陽願寺開基)の元へ実如上人の「御消息」(御手紙)と蓮如上人の御骨が届いた。この「御消息」には形見の御骨を送った理由が記されており、現在寺宝(市文化財)として保存されている。
陽願寺、南越地方の
惣録となる
1597(慶長2)年、准如上人(本願寺第12世)より「院家」に列する通達が届く。同時に南越地方の「惣録」を命じられ、陽願寺は「御堂」と呼ばれるようになる。陽願寺の門前も「御堂町」と呼ばれ、念仏の教えを喜ぶ多くの参詣者でにぎわった。 
桜町天皇の位牌と
盛化門院の冠
1792(寛政4)年、法知(陽願寺第10世)は、天台宗の僧・陽春院釋慈海の願いで桜町天皇(第115代天皇)の位牌と盛化門院の冠を預かった。桜町天皇の位牌は中御門天皇の御局景光院が親しくしていた慈海に譲られ、慈海より陽願寺に預けられた。
嘉永の大火で
本堂・庫裏焼失
1852(嘉永5)年、3月23日大火により陽願寺の本堂・庫裏は一瞬のうちに姿を消した。炎は庚甲町から出火し、武生市街の大半を焼き尽くしたと言われる。 本量(陽願寺第12世)の時代であり、1856(安政3)年に13間4面の寄せ棟造りの本堂(現本堂)が再建された。

陽願寺本尊交換の伝承

陽願寺のご本尊阿弥陀如来立像には深い伝承が伝わっている。 陽願寺二世善海上人の時代、鯖江市西蓮寺二代目住職了順が、両寺の御本尊の交替を望む夢を見たのである。善海上人も同様の夢を見たことから、両寺の住持は越前・日野川白鬼女川原で御本尊を引き換えたという伝承が残る。

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